東京五輪・パラリンピック開催に向けてはいまだに味噌の付きっ放し、このところの議論は会場や選手村の選定を巡るハードと金の話ばかりだ。
そんなさ中のこの15日、日本国際観光学会の20回全国大会が開かれた(会場・亜細亜大学)。テーマは「祝祭のツーリズム」。オリンピックを意識したものに他ならないが、祭典や祝典の原点に立ち返ろうという狙いもあった。
近代オリンピックの父・クーベルタンが古代オリンピックの再現を企図した背景には、まず世界平和への希求があったろう。同時にスポーツ競技が持つ神事や祭典への熱狂と高揚感、そうしたものへの共感と蘇生への願いもあったに違いない。
ゼウス神殿には牛100頭が生贄(いけにえ)に捧げられ、祭典はスポーツ競技のみならず、音楽や詩の朗読、弁論から絵画・彫刻に至る総合芸術祭の観を呈したといわれる。むしろ正確には津々浦々から人々を結集させる饗宴、羽目を外す一大狂宴であった。
その昂揚感と祝祭性の片鱗はリオ・オリンピックの開会式、閉会式にかろうじて見られよう。
オリュンピアの神殿に祭られるゼウスが旅の守護神であることはさておくとして、旅の原点が聖地巡礼や神事・祭事と深く結び付いていることは改めて言うまでもあるまい。これは各国に共通するところであり、わが国でも神道と結びついた各地の祭りや相撲等の奉納競技をはじめとして、旅はお伊勢参りや富士講といった形をとって宗教と密接不離の関係にあった。
それは宗教に名を借りた日常からの脱出、解放感や高揚感への希求でもあったろう。
翻って今の旅はどうだろう。学会の分科会でも「祝祭のツーリズム」が取り上げられ、ドイツの「街道」を巡る歴史的背景に裏打ちされた祝祭の演出と定着、あるいは江戸の花見に見られる「群れと飲食」の研究、集団の遊山ならではの「見る・見られる」力と魅力といったユニークかつ基礎的な発表が相次いだ。
ロンドン五輪の成果を踏まえた東京五輪の在り方や問題点が指摘されたのはいうまでもない。大会会場では「今の旅行商品はありきたりの類似品ばかりだ」という厳しい指摘もあった。
私たち業界は、顧みることの少ない旅と祝祭の関係を改めて見つめ直し、にぎわいの力、華やぎの魅力、和の多様性と奥深さをしっかり捉えて、観光資源の磨き上げや商品づくりに反映させなくてはならない。
われらの標語「おもてなし」が裏ばっかりの「おもて・なし」にならぬよう心したいものだ。
(亜細亜大学教授)